今日、山口県光市の母子殺害事件の最高裁判決が出ました。

「無期懲役の量刑は甚だしく不当で、
 破棄しなければ著しく正義に反する」

この判決で、広島高裁の無期懲役判決を破棄し、
審理を高裁に差し戻しました。
しかし、ここで疑問がある。
死刑の一歩手前である無期懲役が、「不当である」と言うのなら、
「死刑しかない」と言っているのと同じだ。
なのに、最高裁は死刑判決とはしなかった。何故だろう。

Wikipediaによると、「上告審は書面審理が原則のため、
書面審理のみで判決を確定させるのは問題があるため」、
そして、「法律審では証拠調べを行うことができないため、
事実審で必要な審理を尽くす必要があるから」という理由のようだ。

そうなると最高裁は、「いまの証拠や書面審理からは、
死刑確定だとは思うが、ホントにそれで良いか再調査の上、
高裁で再度審理をしなさい」と言っているということか。

僕は、人として、他人の存在、人格を破壊するような行為、
自分勝手な理由による殺人や強姦は、死刑でいいと思っています。
人を人と思わない人が犯す犯罪だと思うから。
また、年齢は関係ないと思います。
あえて年齢で線を引くなら、未成年は非公開、成人は公開で死刑、
それでいいと思います。
重い刑が犯罪を抑止する効果があるかどうか、
それに明確な証拠を示すことは、できないと思います。
しかし、今回の被告の友人への手紙や、
数々の未成年犯罪者の口から出ている「未成年だから・・・」という言葉。
この言葉は、明らかに自分が未成年であることで、
刑の減免を受けられることを意識して、犯罪を行ったことの証拠。
そういう狡猾な人間は、社会から排除すべきだと思う。

今回の裁判の原告である本村洋さんの怒り、悲しみは、
僕の想像をはるかに超えたものだろう。
被告を死刑にすることで、その気持ちは救われないのかも知れない。
いや、きっと救われない。本村さんも分かっていると思う。
それでも、自分の愛する人の人生を、幸せを、卑劣な形で奪った被告を、
生かしておくことは、許せないと思う。
社会的には、「今後、こんな辛い思いをする人を無くせれば」、
個人としては「制裁として」、被告は死刑として欲しい。
自分勝手な論理がまかり通る世の中じゃ、
自分たちの子供や、孫の世代が、安心して生活できはしない。

もう、「未成年」の枠は必要ないと思う。
むしろ、未成年の枠は、悪質な犯罪を増やすモノ、
そんなモノになっているんだと思う。